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敬意

だいぶ前、画家の平山郁夫さんの存命中、インタビュー映像をテレビで見たことがある。
確か、インタビュアーはNHKのアナウンサーで、かなりのベテランだったと思う。
次のようなやりとりがあった。

インタビュアー「乱暴な質問ですが、“人間の本質”は、どこに現れますか?」
平山さん「それは眼です」

この結論自体は平凡だ。
「眼を見れば、その人がわかる」
というのはよく言われる。
私の印象に残っているのは、この一見ありきたりな結論ではなく、インタビュアーの「乱暴な質問ですが」という、控えめなことわりの言葉だ。

「人間の本質」と一言でいっても、平山さんのような画家にとって、それは本来なら、それだけをテーマにインタビュー時間を全て費やしても、足りないほどのものであるはずだ。
しかし、インタビュアーには自分の役割がある。
決められた時間内で、「人間の本質」というたった一つの話題に留まっているわけにはいかない。いろいろな話しを引き出して、視聴者を楽しませなければならない。

インタビュアーは、自分の役割を果たさなくてはならない、という責任感を持っていた。そして同時に、「人間の本質」というテーマが、平山さんにとって大事なものであるに違いない、軽く扱うことはできない、という想像力も持っていた。
その葛藤が、「乱暴な質問ですが」という言葉になって現れたのだと思う。

私は、それを聞いたとき、
「このインタビュアーは、他者に対して敬意をもって接することのできる人だ」
と感じた。

世にいるあまたの聞き手ならば、次のような展開になっただろう。
聞き手「“人間の本質”は、どこに現れますか?」
平山さん「それは眼です」
聞き手「なるほど。よく言われますね。ところで…(次の話題に移る)」

この場合、聞き手は、平山さんを
「生涯をかけて絵を追求する人」
ではなく、単なる
「インタビューの素材」
として扱っている。
それは自分の役割に忠実に振る舞っている、ということであり、何ら非難されるべき謂れはない。
しかし、残念だなぁと私は思う。
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