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ドナー悪くない

ブログ「蝸牛は棘の上に」
記事「←クズ、第10回「理由」

著者はかつて、友人が血液疾患に罹患した際、助けになればと自ら骨髄バンクに登録し、周囲の人にも登録を勧めた。
しかしそのとき、著者と患者との共通の知人の1人が、著者に対して
「喜ばないと思いますよ」
と、否定的な発言をした。
それについて問題にしているのが、記事の内容である。

「喜ばないと思いますよ」
という知人の発言には、どのような意図があったのだろうか。
一つ考えられるのが、患者が「なるべく他人の助けを借りず、なんでも1人でやる」というポリシーの持ち主であり、それを知人が慮って
「患者のためを思うなら、余計な手助けをするな」
という意味を込めた…という可能性です。

「患者のためを思うなら、余計な手助けをするな」
に言葉を続けるなら、おそらく次のようになる。
「患者のためを思うなら、余計な手助けをするな。なぜなら、患者の人生は患者だけのものだからだ」

しかし、この言葉は間違っている。
仮に、患者自身が本当に「助けを借りたくない」という考えだったとしても、著者が骨髄バンクに登録して患者を助けようと意図したことが、余計なことであるとは、私は思わない。
なぜなら、患者の人生は患者だけのものではなく、著者も含め、周囲の人々のものでもあるからです。

ところで、寄付、募金、無償のボランティアといった行為に対して、ひどく侮蔑的な態度をとる人がよくいます。いわく「そんなのは自己満足にすぎない。だから偽善だ」と。
「喜ばないと思いますよ」という知人の発言の意図は何かを考えたとき、じつはそういう「偽善批判」の文脈だった…というのが、もう一つ考えられます。

ボランティア偽善論者は
「相手のため、という美しい動機をもつのが、良いボランティア」
「自分のため、という汚れた動機をもつのが、悪いボランティア」
という対立図式をもち、結局はみんな後者にきまってるじゃないか…というロジックを振りかざすのがお決まりのパターンだ。マザー・テレサ級の人物でもない限り、何びとも後者に放り込まれてしまう。

しかし、そんな杜撰な図式にわざわざ乗る必要はありません。
「動機が相手のためか?それとも自分のためか?」が問題ではないのだ。そんなの「自分のため」であるに決まっている。それは、
「直接、相手からの感謝を得たいから」かもしれないし、
「良い行為をしている、という実感が欲しいから」かもしれないし、
「ボランティア仲間との共同作業が楽しいから」かもしれない。
いずれにせよ、「自分のため」には違いない。

問題にすべきは、動機ではなく、相手から見た結果です。一言でいえば、
「相手とWIN-WINの関係になるのが、良いボランティア」
「自分ばかりいい気分で、相手にとってはありがた迷惑でしかないのが、悪いボランティア」
です。

実際には、相手が見えなかったりして(例えば献血というボランティアでは、自分が提供した血液が最終的に誰の役に立つかは分からない)、WIN-WINを実感するのはなかなか難しいのですが、相手にとって有り難迷惑でなければ、少なくとも、悪いボランティアではありません。

もし、相手からの感謝を直接には得られなくても、別にいいじゃないですか。
相手から直接感謝されてしまうと、ハッピーなのは、自分と相手の2者だけです。
しかし、相手がハッピーになり、それを元手に別の誰かをハッピーにして、さらに…となれば、3者以上がいい気分です。そちらの方がいい。

(4/16 リンク先のURL指定が間違っていたのを修正しました)
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