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倫理的

Yahoo知恵袋での質問。
倫理的な社会参加はボランティア以外何がありますか?幾つか例をあげてくださいお願いします。
(ここまで)

それに対する私の回答
「これに参加しさえすれば、倫理的だ」
というものはありません(ボランティアにしても、倫理云々とは何の関係もありません)。

「年齢、性別、国籍、職業の有無、障害の有無…等々を問わず、誰にでも同じように敬意を持って接すること」
倫理的な振る舞いとは、こういうことです。
(ここまで)

こう聞くと、
「では、自分が犯罪の被害に遭ったとして、その犯人に対しても、同じように敬意を持って接するのが倫理的なのか?」
という疑問が生じるかもしれないが、答えは
「その通り」
である。

「そんな無茶な…」
という感想が生じると思われるが、答えは
「必ずしも、倫理的な振る舞いが素晴らしいとは限らない」
である。

「それじゃ、“倫理的”という物差しは、一体何のためにあるのか?」
という疑問が生じると思われるが、答えは
「世界がどんなに酷い方向に向かっていっても、自分だけは押し流されないためのスパイクとして」
である。
スパイクである以上、簡単に動いてしまっては意味をなさない。すなわち、
「ここは流れに乗ったほうが得だな…」
という損得判断が生じたときにも、頑として動かない、ということである。

ちなみに私は倫理的な振る舞いが自己採点で65点くらいしかできていない。
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連係入力者養成の工夫

この記事は、過去記事「第6回パソコン文字通訳シンポジウム」(http://jetmaguro.blog.fc2.com/blog-entry-142.html) の続きです。


大阪府登録要約筆記者の日根真理さんによる講演があり、そこで
「大阪府では、独自の方法で連係入力者を育てている」
という話をきいた。

一人入力と連係入力では、求められるスキルが大きく違う。
一人入力については、その養成方法は、要約筆記者養成テキストにまとめられている。
しかしその一方で、連係入力の養成をどうするかは悩みの種だ。

大阪府での要約筆記者養成にて、いざ初めて連係入力を教えるときには、およそ、次のようにするとのことだった。
ステップ1
受講生AとBがペアになる。そして、数字を1,2,3,4…と入力していく。
ただし「奇数はAさん、偶数はBさんが担当」という約束とする。

ステップ2
今度は「123」がAさん、「456」がBさん、「789」がAさん…という役割分担とする。

ステップ3以降
AさんとBさんは相変わらず連係して数字を打ち続ける。ただし、役割分担を少しずつ複雑なものにしていく。

細かい部分は覚えられず、細部で少し記憶違いがあるかもしれない。
(当日は講演を聴くために聴覚を遮断して、目で字幕を追っていたので、メモがほとんど取れなかった)
ここで重要なのは以下2点である。
  1. 簡単に見えるが、両者が常にペアの入力内容を把握していないと、うまくいかない。たとえばステップ1であれば、タイミングを間違えて表出結果が「123547689....」となってしまうかもしれない。

  2. 題材として、日本語文章ではなく「算用数字の羅列」という、無機的なものを敢えて使用する。

1.は、連係入力の必須ポイントである、
「自分の入力内容だけを見ていてはダメで、パートナーの入力内容もしっかり見る」
ことの訓練を意図している。
また、2.の意図は、恐らく、
「題材に日本語文章を選んでしまうと、入力がだんだん遅れてきたとき、どうしても要約したくなってしまう」
これを避けるためだと思う。すなわち「要約をさせない」工夫に違いない。

この方法は、厚生労働省カリキュラムに則った要約筆記者養成講座で1人入力の修練を積んできた受講生に、はじめて連係入力を教えるときの、最初の取っ掛かりとしても適していると感じた。

私は連係入力育ちで、後から1人入力を学んだ者だが(要約筆記奉仕員から要約筆記者への移行研修)、初めて1人入力に接したときには大きな衝撃を受けたのを覚えている。
「ええっ!こんなに文字を落とすの?!」
一方、厚生労働省カリキュラムで1人入力を修練してきた受講生が、初めて連係入力に接するときには、逆方向の衝撃を受けると予想される。
「ええっ!要約しないでそのまま出すの?!」

大阪府トレーニングは、その衝撃を和らげることができると思うのだ。

あと、これは私の思いつきだが、数字の羅列連係の次のステップとしては、「歌」を使ってもいいと思う。
 Aさん 「あなた変わりはないですか」
 Bさん 「日ごと寒さがつのります」
 Aさん 「着てはもらえぬセーターを」
 Bさん 「寒さこらえて編んでます」
こんな具合だ。
(作詞:阿久悠 作曲:小林亜星 歌:都はるみ http://www.uta-net.com/song/1499/

歌の歌詞は、要約してはいけないですよね。
「変わりはないか」
「寒さがつのる」
「不要なセーターを」
「編んでいる」

(つづく)

awkを使った連想配列のようなもの

#!/bin/bash

#----< 値取得関数(引数にキーを与えて呼び出すと、対応する値を返す) >----#
function get
{
awk '/^'$1' /{print $2}' <<_LIST1_
0850467 北海道釧路市阿寒湖温泉(1~6丁目)
0393111 青森県上北郡野辺地町石神裏
1001701 東京都青ヶ島村青ヶ島村一円
7580042 山口県萩市御許町
9042204 沖縄県うるま市西原
_LIST1_
}

#----< メイン処理 >----#
echo "郵便番号7桁を入力せよ"
read YBN
ANS=`get $YBN`

[ $ANS ] || ANS='未登録'
echo $ANS
exit

実行して、郵便番号7桁を入力すると、該当する住所を表示する。
ただし、この例では事前に登録した5つの郵便番号しか対応できない。

第6回パソコン文字通訳シンポジウム

全国文字通訳研究会(文字通研)の、第6回パソコン文字通訳シンポジウムが、2016年1月11日(月)にあり、私も参加しました。テーマは以下の通り。
  1. 第2回「パソコン要約筆記の担い手の養成・派遣に関するアンケート調査」
  2. 「文字通訳者の養成に関する検討会」発足報告
  3. 講演「要約筆記者養成講座の目指すもの ― 大阪府の現状から」
  4. 調査報告と提言「ログ問題について」
  5. 報告「NPO法人化について」

ところで、私は昨年8月29日(土)にも、文字通研の会合(第4回関東地区集会)に参加していました。そのときは、イヤホンで間断なくホワイトノイズを流して聴覚を遮断し、字幕だけで内容を把握することを試みた。
(過去記事 全国文字通訳研究会 参照)

今回の会合でも同様のことを行ったが、10:30~16:30という長時間であり、途中休憩を除いて正味5時間、スクリーンを見続けた。さすがに、終盤では目および前頭部がしんどく、しばしば目頭を押さえ、そのたびに字幕を読み落としました。同様に感じた読み手も多かったと思う。それを補完するためにも、ログの事後提供は必要かもしれない。
(ログ提供の問題については後で触れます)

当日の情報保障について。
字幕の中で、「***」という記号が登場していた。
恐らく、話者の言葉を聞き取れず、「***」という記号で埋めたのだと思うが、これだと、読み手によっては
「何らかの政治的配慮によって『伏せ字』にしたのか?」
と感じる人もいるかもしれない(いないかな)。

入力者の意図は正確には分からないが、もし、聞き取れなかったが故の「***」であるならば、正直に
「(聞き取れませんでした)」
としたほうがいいと思う。

(つづく)

改造ホテル

先日泊まったビジネスホテル。
チェックインすると、
「お部屋は別館です。そこの扉を出てまっすぐ行くとエレベーターがあります。8階で降りて、すぐ左の部屋です」
という説明をうけた。

それに従い、エレベーターに乗って8階で降りると、目の前には青空が広がっていた。
(写真を撮り忘れたのが悔やまれる)
そして、「8階で降りて、すぐ左の部屋」が、これだった。

IMGP0196.jpg

玄関だ。
鍵をあけて、入ってみる。

IMGP0199.jpg

洗濯機があるぞ。
玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて部屋に上がる。
右にキッチン、左にユニットバス。

IMGP0203.jpg

奥のワンルームに、ベッドと机とテレビを置いて、シングルルームとしていた。

チェックアウト時にフロントの人に聞いてみると、ワンルームマンションの一部をホテルとして貸し出しているのだそうだ。
(エレベーターでは住人ともすれ違った)
昔私が暮らしていたワンルームアパート(木造)に間取りが似ていて懐かしかった。
ホテルとしては、ユニットバスのお湯の温度が安定せず、ちょっとイマイチだったが、面白かったので、よしとする。

敬意

だいぶ前、画家の平山郁夫さんの存命中、インタビュー映像をテレビで見たことがある。
確か、インタビュアーはNHKのアナウンサーで、かなりのベテランだったと思う。
次のようなやりとりがあった。

インタビュアー「乱暴な質問ですが、“人間の本質”は、どこに現れますか?」
平山さん「それは眼です」

この結論自体は平凡だ。
「眼を見れば、その人がわかる」
というのはよく言われる。
私の印象に残っているのは、この一見ありきたりな結論ではなく、インタビュアーの「乱暴な質問ですが」という、控えめなことわりの言葉だ。

「人間の本質」と一言でいっても、平山さんのような画家にとって、それは本来なら、それだけをテーマにインタビュー時間を全て費やしても、足りないほどのものであるはずだ。
しかし、インタビュアーには自分の役割がある。
決められた時間内で、「人間の本質」というたった一つの話題に留まっているわけにはいかない。いろいろな話しを引き出して、視聴者を楽しませなければならない。

インタビュアーは、自分の役割を果たさなくてはならない、という責任感を持っていた。そして同時に、「人間の本質」というテーマが、平山さんにとって大事なものであるに違いない、軽く扱うことはできない、という想像力も持っていた。
その葛藤が、「乱暴な質問ですが」という言葉になって現れたのだと思う。

私は、それを聞いたとき、
「このインタビュアーは、他者に対して敬意をもって接することのできる人だ」
と感じた。

世にいるあまたの聞き手ならば、次のような展開になっただろう。
聞き手「“人間の本質”は、どこに現れますか?」
平山さん「それは眼です」
聞き手「なるほど。よく言われますね。ところで…(次の話題に移る)」

この場合、聞き手は、平山さんを
「生涯をかけて絵を追求する人」
ではなく、単なる
「インタビューの素材」
として扱っている。
それは自分の役割に忠実に振る舞っている、ということであり、何ら非難されるべき謂れはない。
しかし、残念だなぁと私は思う。
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