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靖国神社

私は靖国神社に参拝しない。
付属の博物館である「遊就館」には数回行ったが、神社に参拝したことはない。
閣僚が参拝するのも、止めるべきだと思っている。

その理由は、東条英機などのA級戦犯を祀っているから……ではない。
戊辰戦争で賊軍とされた、旧幕府方勢力の戦没者を祀っていないからである。
つまり靖国神社は、
「官軍は祀るべし、賊軍は祀るべからず」
という、政治権力による御霊チョイスに従っているということだ。
すると、東条英機は「官軍」に分類されていることになる。

諸外国が、よくA級戦犯の合祀を問題にするが、これは当然のことだと思う。
なぜなら、第二次世界大戦で、日本を含む枢軸国は敗れた。
敗戦時に日本が受諾したポツダム宣言は、
「連合国は民主主義を奉じる官軍で、枢軸国は帝国主義の賊軍」
という認識で書かれている。
(イギリスもオランダもフランスも、戦後にアジアやアフリカの植民地を手放したがらず、独立運動を武力で押さえつけ、押さえきれなくなって嫌々ながら独立を認めたくせして何の民主主義?という文句はひとまず措く)
「東条英機を官軍とするなら、日本はポツダム宣言を認めないということか?」
というのが彼等の言い分だろう。

残念ながら、この言い分には一理ある。
(というより、彼等の難癖に対して、靖国神社自身が一理を与えてしまっている)

もし、靖国神社が、官軍賊軍を問わず、戦没者を等しく祀っていれば、
「確かに東条英機を祀ってはいるが、その理由は『官軍だから』ではない。生前の行為の責任追及とは別に、戦没者を等しく祀っているのだ」
となる(東条英機は戦死ではなく刑死だが、広義の戦没者とみる)。
それならば、諸外国の批判など関係なく、私も参拝するのに、と残念に思う。
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私は子供の頃から指が短く、手がちんちくりんだった。

小学校低学年の頃、たまに運動テスト(?)があった。その中の種目に「ソフトボール投げ」というのがあった。
指が短い私は、ソフトボールをしっかり握ることができず、投げようとするとポロっと手からこぼれ落ちてしまい、散々の結果に終わった。

「これは投擲力を測定するためのテストなのに、被験者の手の大きさという要因によって結果が左右されてしまうのはおかしい。そのようなノイズを排除するために、ゴルフボール投げにすべきだ」
と、幼い私は憤った。
(こんな難しい言葉はしゃべっていません)

学年が上がり、確か4年生あたりになった頃、ソフトボールも握れるようになった。しかし、こんどは種目が「ハンドボール投げ」に変わっていた。
ハンドボールは私の手からポロっとこぼれ落ちてしまい、散々の結果に終わった。

「これは投擲(略)」
再び私は憤った。

大人になっても、やはり指は(平均以上には)伸びず、手はちんちくりんのままだ。
タイピングで、左手小指がエスケープキーに届かず、薬指を伸ばしているという程度で、さほど困ったことはない。
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