入力者は黒子
①全盲ろう(まったく見えず、まったく聞こえない)
②盲難聴(まったく見えず、聞こえにくい)
③弱視ろう(見えにくく、まったく聞こえない)
④弱視難聴(見えにくく、聞こえにくい)
に分けられる。私たちのチームの役割は③④の人に対する情報保障である。
普通、字幕の内容はプロジェクタを使って大きなスクリーンに投影し、利用者にはスクリーンを見てもらうのだが、その時は、それに加えて次の対応を行った。すなわち、利用者自身にノートパソコンを持ち込んでもらい、情報保障者のパソコンとLANで接続する。そして、ご自身のパソコン上でIPtalkを起動して、眼前で直に字幕を見てもらう、というものである。
これによって、各人の視力に応じてフォントを拡大したり、見やすい色にしたりできるというわけだ。
その集まりの中で「交流タイム」があった。参加者同士、介助者の手を借りながら、手話、触手話(触る手話)などで楽しそうにコミュニケーションしていたが、中に、その輪に加わらず、じっとノートパソコンの字幕を見続けている人がいた。若い男性。
彼はこの種の集まりに初めて参加して、知り合いが誰もいなかったのかもしれない。
コミュニケーションの得意な人ならば、そういう状況でも、(盲ろう者であっても介助者の手を借りて)手近な人を捕まえて、友達を作ってしまうのだろう。しかし、彼はそういう人ではなかったようだった。
私は彼と筆談で話したかった。何故なら、私自身が「コミュニケーションの得意でない人」だからだ。
「コミュニケーションの得意でない人同士で、一体何を話すのだ?」
と思われる方もいるかもしれない。お答えしよう。「コミュニケーションの困難について」話すのですよ。
私はパソコン要約筆記の入力者である。入力技術向上のために、字幕利用者の声を聴きたいのだが、なかなか果たせずにいる。今日、期せずしてその機会がやってきた。あなたがパソコンで見た字幕はどうだったか。例えば一気に大量の文字が表出されるので読みづらいとか、誤字脱字が多いとか、何でもいいので聴かせて欲しい。それと、今日はお一人で参加ですか。私も出かけるときはいつも一人ですよ。こういう所で新しく知己を得る人もいるけども私には難しいですね…
しかし、上記はすべて妄想である。実際には彼とは全く話していない。なぜなら、パソコン要約筆記の入力者は、基本的に字幕利用者と話すべきではないからだ。入力者はいわば通訳者である。日本語の音声を、日本語の文字に通訳するという通訳者だ。通訳者が利用者と仲良くなってはいけない。考えてみて欲しい、日米首脳会談で、日本側の通訳者が米国首脳と仲良くなってその場でお喋りを始める、なんてあり得ないではないか。
今回の盲ろう者の集まりはかなり規模の大きなもので、毎年定期的に開かれるようだ。私も盲ろう者友の会の会員になって、来年の集まりに(当然、入力者としてではなく)参加して、彼を探してみようかな(名前は分からないが顔は覚えた)。