スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

相手にも理はあると考える

Yahoo知恵袋で、中学生からの質問があった。
内容は、今年2月14日に発生した、大阪府大東市で小学校の統廃合の中止を訴えて小学生が自殺した事件について、意見を求めるというものだった。

中学生がこのような社会問題に関心を持つなんて、大したもんだ、と思ったのだが、読んでいるうちに、だんだんと問題が感じられてきた。
質問者自身の考えは、大東市は小学生の訴えを聞いて統廃合を中止すべし、というものだ。これは何も悪くない。しかし、小学生の行動(自殺)に必ずしも同情しない世論の例をいくつか挙げた上で、

>なぜ、小学生の悲痛な叫びに耳を傾けない冷酷な大人がいるのでしょうか。

という問いかけ方をしている。ここが問題である。
彼は、
  • 統廃合を中止すべし!という正義の陣営
  • 統廃合はやむを得ない、という悪の陣営

この2つの陣営を想定し、前者のスポークスマンとして、観客に向けて、後者の悪さ加減を訴える。悪の陣営には一分の理すらないという認識だ。
これは水をぶっかけなくてはダメだなぁ、と感じ、私は次のような回答を書きました。

(引用)

私の考えは、
「よほど学校が好きだったのかも知れないが、それは君が命をかけてまで成さねばならないことか?」
これに近いです。あなたの感じ方では、これは
「小学生の悲痛な叫びに耳を傾けない冷酷な大人」
に該当するのでしょうか?

あなたにお願いしたいのは、この
「小学生の悲痛な叫びに耳を傾けない冷酷な大人」
という「レッテル貼り」を止めてほしい、ということです。

あなたが「小学生の叫びを汲んで、大東市は統廃合を中止すべきだ」という意見を持っているのはよく分かる。私はそれに異を唱えるつもりは全くない。むしろ、あなたには自分の意見をしっかり持って欲しいと思っている。
しかし、だからこそ、あなたは自分とは違う意見を聞くべきです。

もしあなたが「レッテル貼り」を続けるならば、それに同調する人が集まって、
「そうだ!そうだ!悲痛な叫びに耳を傾けろ!」
と盛り上がれるかもしれません。しかし、それは結局、「すでに同じ意見を持った人同士で集まって盛り上がる」に止まってしまうのです。
「その意見を、他の人に広げる」とか「他の人の意見を取り入れて、自らの意見に磨きをかける」といった展開を捨ててしまうのです。

そうは言っても、あなたは件の世論はどうしても理解できない、聞く気になれない、と感じるかもしれません。
ではここで、大東市のケースからちょっと離れて、次の状況を想像してみてください。

『Aという生徒が、B、C、Dから恒常的に酷い苛めを受けていたとする。そして、統廃合によって、A君は彼らとは違う学区になり、やっと離れることができる!…というのを楽しみにしていたのに、ある日、統廃合の中止が発表され、A君は絶望のあまり「統廃合して欲しかった」という訴えを残して自殺した』

というケースがもしあった場合、あなたはどう考えますか?
A君の悲痛な叫びに耳を傾けて、統廃合を断固実施すべきだ、と考えますか?
その場合、逆に統廃合の中止を望んでいた生徒がいた場合、彼らの意思はどうなりますか?
「いや、A君の意思にかかわらず統廃合は中止すべきだ」という意見は、「小学生の悲痛な叫びに耳を傾けない冷酷な大人」に該当しますか?
もしあなたが「この場合、方針のとおり統廃合を中止すべき」という意見であれば、大東市の小学生の叫びは聞くが、A君の叫びは聞かない、その差別待遇の理由は何ですか?
統廃合はやった方がいいのですか?やらない方がいいのですか?

↑敢えて意地悪な質問をしました。様々な立場から物事を考えるための練習になれば幸いです。


(引用ここまで)

これによって、質問者の認識に影響を与えることができたかどうかは、全く分からない。
しかし、今回の質問者と私とのやりとりの内容は、ネット上にずっと残り続け、後で誰でも読み直すことができる。いずれ、彼と同様に問題意識を持った中学生、高校生ぐらいの人がこれを読んで、自分の考えを深めるための一助になってくれれば、一生懸命回答した甲斐があったというものです。
スポンサーサイト

心がすり減るという負け

Yahoo知恵袋で、生活保護申請に関する相談を読んでいると、批判的な回答が目立つ。
例えば、生活保護とは本当にどうにもならない悲惨な境遇の人が申請すべきものである、質問者よ、お前は甘えている、お前のような者に税金が支払われるのは不快だ、等々、まぁよくあるものだ。

ある回答者が、自らの体験を語っていた。もともと体が弱く、とある感染症に罹ったが、会社に許可を得て出社した。会社側も、休むなんてとんでもない、出社して当然、という雰囲気だった、辛かったが休まずに乗り切った…というもの。言うまでも無く、
「俺はこんな苦労をしている、お前は甘えている」
というメッセージを発している。

私は、この回答者はダメだと思う。そんな病気に罹ったら休むべきであるに決まっている。それを「俺は休まなかった」と誇らしげに語るなど、奴隷が自らの足に付けられた鎖の重さを自慢するようなものだ。「社畜」ぶりを自慢してどうするのか。

そりゃ私だって苦労自慢ネタの1つや2つありますよ。
昼は通常通りの仕事をして、業後に別の現場に赴いて終電近くまで応援、当然土日は応援で、1ヶ月の勤務表が全部出勤(休暇一切なし)だったとか。
2日連続で徹夜して、6時間ぐらい寝た日を挟んでまた2日連続徹夜して、吉野屋で朝食をとろうと早暁の街を歩いていたら心臓がキーンと痛んで「これはひょっとしたら、まずいかもしれない…」と思ったりとか。
健康ランドに泊まり込んで、翌朝に無理矢理体を起こして風呂につかるのだが、何だか体が冷えてしまって、皮膚表面はお湯の熱を感じているのに、それが体の中まで浸透していかない、アイスクリームの天ぷらのような奇妙な状態になってしまった、とか。それから、それから…

でも、こんなのを自慢してもしょうがないのだ。こんなのはサラリーマン同士の飲み会での苦労自慢合戦に役立つ程度か、あるいは、後輩に対して、飲み代を奢ってやる代わりに説教の快楽に浸るためのネタになるか、その程度なのだ。
(ちなみに私自身はそんなことをやりませんよ。ほんのちょっとしか

件のYahoo知恵袋・回答者に話を戻そう。
この人は病気と戦い、逃げなかった。それは立派なことだ。
しかし彼は病気に負けた。それは残念なことだ。

「負けたとはどういうことか?彼は病気に打ち勝ったのではないか?」
と感じる方が多いと思う。
私のいう「病気に負けた」の意味は、病気によって心が変容させられてしまった、凝固してしまった、ということである。自らの経験を絶対視し、他者への想像力を無くしてしまった、ということである。
ここでの他者とは、Yahoo知恵袋で生活保護について相談する人を指している。
「生活保護申請するとは、どんな事情なのだろう?」と想像することなしに、「こいつはダメだ」と切って捨てる。心が凝固していると思う。

このように病気に負けるくらいなら、戦わずに逃げた方がまだいい、と私は思う。

最近読んだ本

最近読んだ本は以下の通り。

失礼な敬語 誤用例から学ぶ、正しい使い方
野口恵子(光文社新書)

日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体
深尾葉子(講談社+α新書)

非社交的社交性 大人になるということ
中島義道(講談社現代新書)

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡霊」
安田浩一、山本一郎、中川淳一郎(宝島社新書)

ネットとリアルのあいだ 生きるための情報学
西垣通(ちくまプリマー新書)

未来の働き方を考えよう 人生は二回生きられる
ちきりん(文藝春秋)

日本成長戦略 40歳定年制 経済と雇用の心配がなくなる日
柳川範之(さくら舎)

突き抜ける人材
波頭亮、茂木健一郎(PHPビジネス新書)


「感想文」を書きたい順に並んでいます。
(“書評”なんて恥ずかしくて言えない)
そのうち書きます。

患者さんに書いた返事

私が骨髄提供した患者さんから手紙が届いたことは、記事「患者さんからの手紙が届いた」で書きました。
一方、私から患者さんへの返事は、なんとなく延び延びになっており、骨髄移植の日から1年間、という期限ぎりぎりのタイミングで、骨髄バンクに出しています。
(その後、骨髄バンクから「手紙は確かに患者さんに送り届けた」という返事が来た)

患者さんから貰った手紙を読み返すと、「私は40代で…」という文言があったのだが、これをよく見ると、「私は44歳で…」と書いた後に修正した形跡がありました。恐らく、最初に手紙を書いた後で、「個人が特定できる情報を書くべからず」という骨髄バンクの掟を思い出し、年齢をぼかして修正したものと推測されます。

しかし、ひょっとしたら、わざとそのように間違えて書くことで、正確な年齢をドナーに伝えようとしたのかもしれない。骨髄バンクの検閲係が見逃してくれることを期待しながら…

…という妄想をしながら、私が返事を書いたときには、年齢に関わるちょっとした小細工を入れました。それは、
「私はあなたと同年代です。私のプロファイルは"30代男性"と伝わっていたはずですが、その後40代になってしまいました。」
という一文を入れることです。
(補足すると、私は1972年生まれで、誕生日が day -6(骨髄移植の6日前)なので、移植前のコーディネート中には、私は39歳。しかし移植当日は40歳にアップグレードしていたのである)

確かに、私は手紙において、自分の年齢を一切書いていない。「年代」というおおざっぱな情報しか書いていない。しかし、よく見ると、骨髄移植をした2012年に30代から40代にチェンジしたということは、その年に39歳から40歳にチェンジした、すなわち私が1972年生まれであることが何となく分かるわけです。

もう一つ、手紙には、私がパソコン要約筆記をやっていることを書きました。患者さんもパソコン要約筆記、あるいは手話など、聴覚障害者福祉に関わる活動を始められれば、いつかどこかでお会いできるかもしれません、という具合に結んだのですが、実はこれにも意図があるのだ。

「骨髄移植」のキーワードで検索すると、沢山のサイトやブログが該当する。当「ジェットマグロ」は下の方に埋もれている。
「パソコン要約筆記」のキーワードでも、同様に当「ジェットマグロ」の検索結果は埋もれている。
しかし、「骨髄移植 パソコン要約筆記」と、キーワードを2つ並べれば、たちまち最上位に浮上するのである。
これで検索して、このブログを発見してくれたらなぁ、という淡い期待です。
多分このまま、期待のままで終わるでしょう。

YAHOO知恵袋

最近、YAHOO知恵袋を始めました。
質問者としてではなく、専ら回答者として、主にEXCEL、VBA、SQL、シェルスクリプトなどの質問に答えている。手前味噌になるが、私の小手先テクニックが、職場で情報処理の効率化に奮闘している人に対して、わりと有効なアドバイスになっており、なかなか楽しいものです。

私の回答
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=jetmagro

ただ、このYAHOO知恵袋には、理工系の大学生とおぼしき者が、プログラミングの課題を解けずに「至急!教えて下さい」などと質問している例が結構ある。それも、酷い物になると、課題のプリントを画像として添付して、「教えて下さい」と書いてあるだけだったりする。

彼らのうち、「自力で答えを導くためのヒント」を求めている者は非常に少なく、大半は、文字通りの「答え」をインスタントに求めているように感じられるのだ。
私は、前者ならば力を貸してもいいが、後者に対しては、一切無視すべきであると思う。本人のためにならないからだ(でも、誰かお節介な回答者が答えてしまうんだよな…)。
プロフィール
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
カウンター
にほんブログ村 その他生活ブログ 献血・ドナーカードへ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他生活ブログ ボランティアへ
にほんブログ村
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。