スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ガラケ~

かつて、携帯電話は文字通り、電話としてしか使えなかった。
そしてやがて、小さな画面ではあるが、ウェブ用端末としての機能も持つようになった。
恐らくそのとき、ウェブサイト製作者は、この新しい技術に乗り遅れまいと、競って携帯電話用のコンテンツを繰り出しただろう。

そして時代は移り変わり、スマートフォンが登場した。
従来型の携帯電話は、揶揄を込めて「ガラケー」(ガラパゴス・ケータイ)と呼ばれるようになった。
恐らく今、ウェブサイト製作者は、この古い技術を疎ましく思っているだろう。
なぜなら、場合によっては「PC用」「スマホ用」「ガラケー用」の3つのコンテンツを用意する手間がかかるからだ。ガラケーなんて早く絶滅しないかなぁ、というのが、彼らの本音だと思う。

私は「ガラケーで充分派」であり、スマホは使っていない。しかし、彼らウェブサイト製作者の気持ちが少しだけ分かるのです。

当ブログのとある記事で、AとBの2方式の利点、欠点を比較するために、2行2列の表を作ったことがある(タイトルを含めれば3行3列)。こんな具合だ。


方式
利点
欠点
A方式
肉の多い大乃国(にくのおおいおおのくに)。
お菓子が好き好きスガシカオ(おかしがすきすきすがしかお)。
B方式
世の中ね、顔かお金かなのよ(よのなかねかおかおかねかなのよ)。
宇津井健神経痛(うついけんしんけいつう)。


PC上で見た目を確認し、記事を投稿して、ちょっと自分の携帯電話で見てみたところ、
「アレェー!」
私の携帯電話は、この「表」を表として表現してくれなかったのだ。各セルの要素を、左上→右上→左下→右下という方向に沿って拾い上げ、それを画面に、単純に上から下に並べて表現していた。
(ガラケーの小さな画面では無理もない)
どうするか頭をひねった。表を使うのをあきらめるか?
そこで考えたのが以下だ。ほんのちょっとした改良である。


【方式】
・利点
・欠点
【A方式】
・肉の多い大乃国(にくのおおいおおのくに)。
・お菓子が好き好きスガシカオ(おかしがすきすきすがしかお)。
【B方式】
・世の中ね、顔かお金かなのよ(よのなかねかおかおかねかなのよ)。
・宇津井健神経痛(うついけんしんけいつう)。


これなら、携帯電話で見ても、A、B方式の比較の意図が何とか伝わるだろう(と信じる)。
読者は可能ならば、本記事をPCとガラケーで見比べていただきたい。
(PCからであれば、次のURLをクリックしても、ガラケーでの見栄えがわかります。
 http://jetmaguro.blog.fc2.com/?mode=m&no=63

このように面倒なことがあるので、ウェブサイト製作者がガラケーを忌避する(であろう)気持ちが少しだけ分かります。
でも、こうやって制約の中で知恵を絞って道を切り開くのも、なかなか楽しいものです。
スポンサーサイト

創造価値、体験価値、態度価値

態度価値(Einstellungswerte)はヴィクトール・フランクルの用語。

フランクルによれば人間が実現できる価値は創造価値体験価値態度価値の3つに分類される。

創造価値とは、人間が行動したり何かを作ったりすることで実現される価値である。仕事をしたり、芸術作品を創作したりすることがこれに当たる。

体験価値とは、人間が何かを体験することで実現される価値である。芸術を鑑賞したり、自然の美しさを体験したり、あるいは人を愛したりすることでこの価値は実現される。

態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。フランクルはアウシュビッツという極限の状況の中にあっても、人間らしい尊厳のある態度を取り続けた人がいたことを体験した。フランクルは人間が最後まで実現しうる価値として態度価値を重視するのである。


(以上wikipediaの「態度価値」から引用)

この、「3つの価値説」を現代に当てはめると、創造価値(端的には仕事)を重視する親父世代と、体験価値(遊び)を重視する若い世代がおり、いずれも、態度価値は軽視または無視されているように感じる。
私自身は、仕事はソコソコやっているが、昔から同世代が皆で楽しんでいるような遊びはさっぱりで、一人で考え事ばかりしていたような者で、創造価値は及第点、体験価値は落第、といったところだ。
そして、態度価値には大いに関心があり、強く惹きつけられる。

ところで、wikipediaの当該記事を見てもらうと分かるが、この記事は出展が明記されておらず、本当にフランクルが述べたことなのか、ひょっとすると怪しいのである。
もしかすると、当該記事を最初に書いた人が、自分なりにフランクルを読み込んだ上で編み出された言葉、その人がフランクルを消化吸収して血肉となった言葉なのかもしれない。私は、別にそれでもいいと思う。良い言葉であることは間違いないからだ。

そのように考えていたところ、本日、書店にてフランクル著「それでも人生にイエスと言う」をパラパラめくっていたら、どうも、この「創造価値、体験価値、態度価値」説に関する話が書かれているようだったので購入しました。今週末はこれを読んで考えながら過ごそう。

(2013/04/07 追記)
wikipediaの当該記事に出典を記載しました。

残念な算数教室

数年前、「親子で学ぶおもしろ算数教室」と題するウェブページを見て、その内容に疑問を感じたので、メールで意見を送ったことがあります(返答は無かった)。
最近、ひょんなきっかけで数年前のその出来事を思い出し、当該ページを見ようと探したが、すでに削除されていました。しかし、ウェブ魚拓が取られており、それを見れば、おおよその内容は現在でも確認できます。
http://megalodon.jp/2008-0930-1137-51/www.jtu-net.or.jp/education/sansu/series/08.html
上記の魚拓を見ていたら、改めて腹が立ってきたので、一体この「算数教室」の何が良くないかをまとめて、ここに書くとします。

その「算数教室」の骨子は、以下の通り。
F15戦闘機の最大速度(マッハ2.5)及びマッハ1 = 340m/秒 という情報を示して、以下の3つを出題する。
  • 問1
    「F15の最大速度を秒速 [m/秒] および分速 [km/分] に変換すると、いくらになるか」
    (解答は、860m/秒、51km/分)

  • 問2
    その結果をもとに
    「F15が沖縄→東京間(1600km)を飛行するのに、何分を要するか」
    (解答は、31分)

  • 問3
    さらに、F15が120分間、連続飛行可能であるという情報を示して、
    「F15が最大速度で120分間飛行すると、何km進むことができるか」
    (解答は、6120km)

上記のような出題文とあわせて、沖縄の米軍基地にまつわる様々な話が挿入されている。こんな具合だ。

(魚拓から引用)

フェンスの向(む)こうのデージ(とても)広いカデナ米軍基地の滑走路(かっそうろ)には、世界最強(せかいさいきょう)とされている「F15イーグル」が58機(き)いるんだ。そんな戦闘機が、毎日、沖縄の空(そら)を自由(じゆう)に飛(と)んでいるんだよ。みんなの中には「かっこいい」と思う子もいるかもしれないけど、日常(にちじょう)に飛んでいるわけだから、ちょっと怖(こわ)い気もするよね。

 カデナ米軍基地の新聞(しんぶん)でも、東(ひがし)はアラスカから西(にし)はアフリカまでと発表(はっぴょう)しているんだ。本当にこの戦闘機(せんとうき)は、沖縄や日本を守(まも)るために飛んでいるのかな?

「カデナ米軍基地」と「1あたり量」の
 授業を受けた嘉手納の子どもたちの感想

小さな島“沖縄”の小さな町“嘉手納町”に、こんな飛行機が置(お)いてあるなんて。この基地からミサイルが発射(はっしゃ)されたら、狙(ねら)われるのはこの島で、私たちは逃(に)げたくても逃げられないだろう。こんな小さな島に大きな基地があるので、とても怖い。

「1あたり量」がわかってくると、世(よ)の中のいろいろなことが見えてくるね。社会(しゃかい)や総合学習(そうごうがくしゅう)へ発展することができるんだよ。


(引用ここまで)

これらを読むと、
「算数の授業を、無味乾燥に終わらせずに、社会科や総合学習へとつなげよう」
という作り手の思想が感じられます。私は、それは全く正しいと思う。こういう、血の通った面白い授業をしたい、という意志は大いに尊重したい。
ただし、それには、次の2つの条件を満たすことが絶対に必要です。
  • 条件1
    これは「算数教室」なのだから、あくまでも、算数の学習が主、総合学習が従であること。もし、算数の学習教材として質が悪いならば、たとえどんなに総合学習部分に力を入れようが、それはダメである。

  • 条件2
    総合学習部分についていえば、実際の授業において、生徒児童の自主性を充分に尊重する配慮がなされること。沖縄の米軍基地問題を例に取れば、教師は必ずしも中立である必要は無く、何らかの意見を持っていても構わないと思う。ただし、授業において、教師が、自分と同じ意見の生徒のみを褒めることで、違う意見の生徒が発言しにくくなる…という事態に陥ってはならない。

問題の「親子で学ぶおもしろ算数教室」に話を戻すと、これが条件2を満たしているかについては、私は怪しいと思っているが、明確にそう言い切る根拠がないので、ここでは言及しない。ただ、条件1については、残念ながら“失格”であると言わざるを得ません。その根拠を以下に述べます。

今回のF15戦闘機を題材にした出題では、次の2点が暗黙の前提となっている。
  1. マッハ1は、340m/秒に該当する
  2. F15は、最大速度で120分間飛び続けることができる

しかし、いずれも間違いである。
マッハ1とはすなわち音速のことだが、これが340m/秒であるのは、「気温 15℃、1気圧において」という条件がつく。実際に飛行機が飛ぶ高度では、気温も気圧も低くなるため、音速が300m/秒になったりもする。誤差の範囲で片付けることのできない違いだ。
また、F15に限らず、飛行機は最大速度で飛ぶと、膨大な燃料を消費し、燃費がたちまち悪化する。だから通常は「巡航速度」と呼ばれる、ある程度抑えた速度で飛んでおり、全速力で飛ぶのは必要に迫られた時、ごく短時間だけ、というのが基本だ。F15が120分も飛び続けられるのは、巡航速度で飛ぶ場合なのである。

従って、厳密に考えるなら、この「算数教室」の出題は、3つとも解答不能なのである。もし、これを算数の問題として成立させたいなら、
「マッハ1は、厳密にはいろんな条件で変化するんだけど、ここでは計算を簡単にするために、340m/秒としてあつかうよ。また、F15戦闘機が120分飛び続けられるのは、本当は最大速度では無理なんだけど、ここではやっぱり、簡単にするために、最大速度で120分飛べるとしてあつかうよ」
という前提条件を明記することが必要だ。

「そりゃそうかもしれないが、何も、そんなに目くじら立てなくても…」
と感じる人もいるかもしれない。ではここで、ちょっとひとつ、私も算数の問題を作ってみたい。

「ここに、時速1.6キロメートルで飛ぶ蚊が1匹います。この蚊が、沖縄→東京間(1600km)を飛ぶのに、何時間必要でしょうか?」

この問題、私なら解答できない。そりゃ単純に計算すれば1000時間だけど、そもそも蚊にそんなスタミナがあるのか?仮に飛べたとしても、途中で休み休みではないのか?などの疑問が湧いてくるからだ。算数の問題ではなく、生物学の問題になってしまっているのである。この、私が作った問題は、算数の問題としては悪問であると言えます。

「親子で学ぶおもしろ算数教室」も、同じだと思うのです。小学生でも、マッハ1が単純に340m/秒では無いことを知っている科学好きな子もいれば、F15が最大速度を出すためには燃料を膨大に燃やす必要があり、とても120分など飛んでいられないことを知っている飛行機好きな子もいると思う。その子たちは、「算数教室」を前にして、「踏み絵」を迫られる。すなわち、
「真実を貫くなら、この問題には解答できない。しかし、それでは0点だ…。真実を曲げて、この教師の意に沿うような解答(860m/秒、51km/分、31分、6120km)をすれば点はもらえるだろう。どうすべきか…」

これが悪問でなくて何なのでしょうか。

a great restroom on the waterfall

首都圏のJRの駅で、身体障害者用に車椅子でも使用できるトイレ(多機能トイレ)がよく設置されている。
また、視覚障害者用に、音声でのアナウンスも流れている。
こんな具合だ。
「ショォメンワ タキノォトイレデス ヒダリワ ダンシトイレデス ミギワ ジョシトイレデス」
勿論、話されている内容は以下の通りである。
「正面は、多機能トイレです。左は、男子トイレです。右は、女子トイレです」

ここで私がいつもこだわるのが、「タキノォトイレ」である。私の耳には、これが多機能トイレ(multi functions restroom)ではなく、滝のおトイレ(restroom on the waterfall)に聞こえるのだ。

外国人で、日本語を話し言葉としては習得しているが、読み書きが今ひとつ、という人が「タキノォトイレ」を耳にした場合、彼の脳裏に浮かぶのは、ナイアガラ瀑布の上に渡した長大な板、その中央部分に穴が空いており、そこを跨いで用を足す…という、壮大な光景ではなかろうか、と私はいつも思うのだ。

相撲取るなら自分のふんどしで

「ネットで見つけた面白い記事を紹介するサイト」がよくある。
その面白い記事へのリンクをただ張るだけで無く、紹介者による感想などが書いてあれば、読んでいて楽しい。
 楽しいサイトの例:カラパイア 
しかし「ただリンクを張っただけ」のタイプがかなり多い。
ひどいときには、Aサイトで、面白そうな記事へのリンクがあったので、クリックすると、Bサイトに飛ぶが、そこも「ただリンクを張っただけ」のサイトであり、見たい記事は存在せず、ただリンクがあるだけだった。そして、見たい記事へのリンクを見つけてクリックすると、Cサイトに飛ぶが、そこも…(以下省略)

このように、「他人のふんどしで相撲を取るだけのサイト」の存在意義はいったい何なのだろうか?
他人のふんどしといえば、私がよく見るブログのコメント欄に、お気に入りのサイトから大量の文章をコピペし続ける人がいた。いい加減、腹が立ったので、私は以下のようなコメントを書き込んだ。

引用

コピペさん

絨毯爆撃のように他サイトの大量の文章をコピーして、ここに貼り付けている人は、幾つかの名前だったり、名無しだったりしますが、実態は恐らく「極々少数」の人だと思うので、仮に「コピペさん」と呼ばせていただきます。

あなたが悪意を持った「荒らし」であるとは思わない。しかし、あなたは「怠惰」です。

ある文章に接して感動し、その想いを他人にも伝えたい、この感動を誰かと共有したい、ということはよくあります。その時、感動のもととなった文章をそのまま引用して、他人にも読んでもらう、というのも当然ひとつの方法です。

ただ私は、あまり長大な引用は良くないと思います。読み手の側からすると、確かに
「みずからの感動を誰かと共有したい、という引用者の想い」
は伝わってきます。しかし肝心の、
「引用者自身が、いったいどのように感動したのか」
が中々伝わってこないのです。読み手は、その引用文(しかも長い)を全部読んで、
「引用者は、いったいどのように感動したのだろうか?」
と自分で推測しなければなりません。

言い換えるなら、あなたは、「感動を他人と共有する」
という果実を得るための労力(結構しんどい)を、引用文の読み手にほぼ全面的に預けてしまい、あなた自身は、その労力を「コピペ」という、指先一つで済ませてしまっている....とも言えます。私があなたを「怠惰」であると言い切る所以です。

別の喩えでいうなら、このブログのコメント欄は「多くの人が行き交う街角」で、コメントの投稿者は「思い思いの演奏を奏でるストリートミュージシャン」です。そしてあなたは、「他の場所で聞いた、気に入った演奏を録音してきて、それを大音量で流す人」です。そんなものを一体誰が聴くというのでしょうか。

どうか怠惰を止めて、自分自身の言葉で語って下さい。技術的には拙いかも知れないが懸命に演奏しているストリートミュージシャンと、技術的には上手い他人の演奏を録音してきて涼しい顔で流すだけの人では、どちらが人の心を捉え得るか、考えてみて下さい。


(引用ここまで)

当「ジェットマグロ」が、「多くの人が行き交う街角」となるには、あと50年ぐらいかかるかなぁ…

牛丼屋の感情労働

先日、比較的新しい牛丼チェーン「東京チカラめし」で食べた。値段相応に腹が膨れて、味については特に不満はない。
しかし、気になったのは店員の挨拶だ。
無愛想なのではなく、逆に過剰なのだ。
「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」
これらはいいとして、帰り際に「お忘れ物はありませんか?」
他にも、やたらと客に声をかけていたような記憶がある。

「東京チカラめし」は新参のチェーンであるので、ちょっとでも「他店と差をつけるために」このような接客を恐らくマニュアル化しているのだろう。店員もまた、この不況下で得た仕事を手放したくないが故に、そのマニュアルを、内心はどうであれ忠実に守っているのだと想像する。

居酒屋ならば、店員のフレンドリーな対応がリピーター獲得に繋がるかもしれないので、その必要性も理解できるが、「東京チカラめし」は居酒屋ではない。牛丼屋である。牛丼屋の客は、一体何を求めて来店するか?それは安価で手っ取り早く腹を膨らせることではないか。接客サービスなど、客にとっては二の次ではないのか。

私は、牛丼屋の接客サービスなど
「いらっしゃいませ」「ご注文は○○ですね」「ありがとうございました」
この3つだけでいい、むしろそれ以上は止めろ、過剰労働だ、と思う。

つい最近、親友と2人で酒を飲みながらこの話をしたところ
「そんなの誰も気にしていないよ」
との返答だった。まぁそうかもしれないが、もし誰も気にしていないなら、そんな馬鹿丁寧な接客など、それこそ無意味ではないか!

店員に過剰な感情労働を強いている(と私には感じられる)他の例

猫撮影(銚子市・外川漁港付近)

PENTAX Q10 を持って、千葉県銚子市に猫を撮りに行ってきました。
なぜ銚子かというと、数年前、ここを訪れた際に人懐こい猫が2匹ほど現れて触り放題、という体験があったからです。
期待に胸を膨らませて、JRと銚子電鉄を乗り継いで、終着点の外川で降りる。鉄道オタクの乗客が多く、皆さん車両や駅舎などを撮影しているが、私はそれらにはちょっとしか興味が無く、もっぱら猫を探索すれども、なかなか遭遇しない。

IMGP0015.jpg
 これは…

IMGP0015a.jpg
 未確認生物か…

IMGP0014.jpg
 顔を上げておくれよ…

IMGP0018.jpg
 こっち向いて…

IMGP0019.jpg
 頼む…


結局触れませんでした。
最後のネコは、背景の落ち葉が保護色のようになって、被写体が埋没してしまった感じだ。
地べたに腹這いになって、もっと低いアングルから撮れば、背景が明るいグレーの壁になって、もう少しましな写真になったかもしれない。(怪しい人100%だが)

近い将来

私の職業はソフトウェア技術者です。
情報システムをまるごと新規開発するような案件は今後だんだん無くなり、既存のさまざまなサービスをパーツのように組み合わせて使用するようなニーズが増えていく…そんなことがよく言われています。

その「さまざまなサービス」を作る人は、ごく少数の優秀なエンジニアで、それを組み合わせるのは、情報システムの利用者。そうなると、その中間に位置する私のようなへっぽこ技術者は仕事がなくなる…そんなこともよく言われます。

でも、すでに作られて現在稼動しているシステムの保守は、今後もしばらく需要があるはずだ。私は今までそれでずっとやってきたので、今後もそれで、できるところまでやっていこうと思います。全く「優秀なエンジニア」なんかではないし。

あと、私にはPC要約筆記がある。
この特殊技能(?)を持っていることが、私の精神安定の砦となっている。ありがたいことに、私が活動している自治体では、PC要約筆記の活動に対して諸手当がでる。現状、私が活動するのは週末、せいぜい月に2~3回程度なので、金銭的な収入はわずかですが、もしソフトウェア技術者を廃業したら、PC要約筆記専業というのも悪くないな。たとえ専業であっても収入は今よりかなり、というか大幅に、というか劇的に下がるであろうが、私はネット環境さえあればご機嫌なので、なんとかなるでしょう。
プロフィール
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
カウンター
にほんブログ村 その他生活ブログ 献血・ドナーカードへ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他生活ブログ ボランティアへ
にほんブログ村
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。