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パソコン要約筆記の手応え

パソコン要約筆記を始める数年前、「音訳」のボランティアを少しだけやっていました。
音訳とは、視覚障害者のために、文字情報を音読して伝えることです。
始める前は、依頼に応じて対面で音読するものだと思っていたが、私が加入したサークルでの活動内容は、何種類かの雑誌を読んで、カセットテープに吹き込み、視覚障害者のもとに定期的に届ける、というものでした。
担当者は毎月、サークル本部から、自分が担当する雑誌の記事のコピーをもらい、その内容を自宅でテープに吹き込む。そしてテープを本部に送り、リーダーがそれを聴いてダメ出しする(この部分の発音がおかしい、etc)。そして再度吹き込んで本部に送り直す。本部では、送られてきた各テープを1本に編集し直して、視覚障害者の元へ送る、というシステムでした。

しばらくやってみたが、どうにも不満が溜まってきた。実際にテープを聴く視覚障害者との接点がなく、自分の作業が単なるルーチンワークのように思えてきたからです。必ずしも、利用者からの感謝の言葉が欲しかった、というわけではない。「この音訳下手!」という批判であっても、それを元に技術の向上を図ることができる。とにかく、利用者からの「手応え」が無いことが不満だったのです。

ある日、リーダーに上記の不満を訴えたことがある。その時の細かい話の内容は忘れてしまったが、あまり心が晴れなかったことは覚えています。その後、音訳は止めてしまいました。

それから暫く経って、パソコン要約筆記を始めた。こちらには、確かに「手応え」がある。

ある市の公共のホールで、講演会のような催しでの情報保障だったが、終わって片付けの最中、客席から50代ぐらいの女性が1人、こちらに近づいてきて言った。
「中途失聴者です。いつもありがとうございます」
どうやらその人は、パソコン要約筆記付きの講演会などをよく利用するらしかった。
その時は撤収を急いでいたので、筆談で話をする余裕が無く、笑いながら会釈する程度で終わりました。

もう一つは、とある大学のゼミの発表会。この日は、聴覚障害をもつ学生1人(Aさんとする)に対しての情報保障でした。
発表会が終わって、皆で記念撮影をしようという段になり、司会者がゼミ参加者に対して、どこそこに集まって何とかかんとか…と口頭で指示をして、みんなゾロゾロと動き始めた。
当然、Aさんにはその指示は届かない。早く入力しないと、Aさんは記念撮影に参加できなくなってしまう。
「遅れてなるものか!!」
と必死に入力した。このときは打鍵する指が奇跡のように滑らかに動き、無事にAさんは記念撮影に収まることができました。

上記のような「手応え」の実感は、実はそんなに多くはありません。それ以上に、
「今日はコレコレが失敗だったな…」
「恥ずかしい字幕を出してしまった…」
などとがっかりすることが多い。それでも、もっと良い情報保障をしようと、時々チームで研修会などを行ったりして、「手応え」を求めて活動しています。
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ボートでハゼ釣り

今週末はきちんと仕事を休めたので、江戸川放水路にハゼ釣りに行ってきました。
東京メトロ東西線の原木中山駅を降りて、川に向かって歩くこと15分くらい。
貸しボート屋が林立している中で、私がいつも利用しているのは「みさお丸」(ウェブサイトなし)。

いざボートを借りたい旨を告げると、ここ数日はボートではあまり釣れていないとのことで、乗合船を勧められる(11:00出船、16:00帰港)。乗合船は沖合まで行くので、ボートよりは釣れるとのこと。
しかし、16:00終了ではちょっと帰宅時刻が遅くなってしまうので、やっぱりボートを選択しました。
乗合船では、船のスケジュールがカッチリ決まっていますが、ボートならば、どこに行くのも自由(漕げる範囲ですが)だし、釣りを終えるタイミングも自由なのが素晴らしいところです。
ボート貸し出しが3500円、釣り餌が500円。

釣り場は桟橋から1km弱ほど下流のポイントで、自分で漕いでいくのは大変なので、ボート屋のエンジン付き船に乗せていって貰います。その船で手漕ぎボートを曳航し、ポイントについたら客をボートに乗せてその場に浮かべて帰る、という案配です。

ポイントに向かう所。
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ボートに乗り換え、釣り開始。このボートでは私がキャプテンです。(乗員は私一人しかいないが)
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だんだんとボートが増えてきました。
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開始早々、立て続けに3匹ほど釣れた。幸先のいいスタートだ。
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しかし、後が続かなかった。あちこち場所を変えて粘ること6時間、釣果はちょっと恥ずかしい数字です。8匹
帰りも、ボート屋に携帯電話から連絡すれば、エンジン船で迎えに来てくれるのですが、私はいつも自分で漕いで桟橋まで帰ります。景色を眺めながら、川面をのんびり進むのも楽しみの一つなのです。

ボートを返却した際、ボート屋のおばちゃんと少し話しましたが、曰く、数週間前に発生した青潮(バクテリアによって水中の酸素が減少する現象)でハゼが大量死してしまったとのこと。だから、あまり釣れなかったのだ。そうだ青潮が悪いのだ。

釣れたハゼは天麩羅でおいしく頂きました。

近況、雑多

ここ2~3週間は終電、休日出勤生活でした。
(今月いっぱい位は続く見込み)
先週の3連休は、2日間を仕事、1日はPC要約筆記派遣に費やした。
PC要約筆記は、ずっと以前に派遣依頼があり、その時は、ここまで仕事が忙しくなるとは予想していなかったので引き受けたのだが、いざ当日になると、
「やめときゃよかった…休みたかったなぁ…」
と後悔しました。が、終わってみると、やっぱりやってよかったと感じました。

今の仕事は難しい案件で、じわじわと力をすり減らすようにして対処している。疲れが溜まる。質の悪い疲れだ。一方、PC要約筆記は、確かに疲れることは疲れるが、それは心地よい、質の良い疲れなのです。疲れそのものの絶対量は減らない。しかし、若干、質の良いものに置き換わったことで、少しだが気持ちが落ち着きました。

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10月14日(日)は久しぶりにまる1日の休日で、映画を見に行った。
「宇宙戦艦ヤマト2199 第3章」
著名なアニメ作品のリメイクで、来年からTVで放送する予定なのですが、今年、それを数話ずつ、映画館で公開しているのです。
1~2話が4月、3~6話が6月に公開し、もちろんそれも見に行った。今は7~10話を公開しています。
私は高校生あたりから、TVをあまり見なくなって、インターネットができてからはますます見なくなりました。だから今の流行の番組とか、アニメとかはよく知らないのですが、この「ヤマト」は、そんな私でも、心の底から楽しめる作品です。

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地方ローカル話であるが、江戸川放水路にハゼ釣りに行きたい。
手漕ぎボートを借りて、のんびり川面に浮かんで釣り糸を垂れていると嫌なことも忘れてしまいます。
千葉県市川市の江戸川放水路はボートハゼ釣りのメッカで、6月ごろから12月始めまでのシーズンには全国からファンが訪れる。6月は、数はたくさん釣れるが、ハゼの型は小さく、メダカみたいだ。一方、12月は、釣れれば大物だが、数は少なくなる。10月のこの時期ぐらいがいちばんいい案配なのです。
去年は行かなかった。今年は、11月半ばには仕事のピークも過ぎるはずだから、その頃に行こうかな。

食べ方を訊け

数年前のちょっとした出来事だが、なぜか記憶に残っている事件(?)

安価な肉料理を提供している某チェーン店「ペ○パ○ラ○チ」に、昼時に入った。
注文して、暫くするとウエイターが料理を持ってきた。
焼けた厚い鉄板の上に肉と野菜が盛ってあり、ジュージューと音を立てていた。
ウエイターは私の前に料理を置くと、次のように私に尋ねた。

「お召し上がり方はよろしかったでしょうか?」

私はそれを聞いて、一瞬、なんのことか分からなかった。
「よろしかった」という過去形には、たいして意味は無く、何となく丁寧な感じを醸し出す程度のものだろう。その点を補正すると、
「お召し上がり方はよろしいでしょうか?」
もっとシンプルにすると
「食べ方はよいか?」
彼は、客である私に、一体何を質問しているのだろうか?

その料理には、食べ方A、食べ方B、食べ方C があって、それぞれに応じた盛りつけが存在し、客の一人一人に応じて
「この客には、食べ方C用の盛りつけで提供しよう!」
とコックが決定するが、念のために、ウエイターが、
「(あなたの)お召し上がり方は(Cで)よろしかったでしょうか?」
と確認をする、というシステムなのか?まさか......

しかし、ちょっと考えて、彼の言わんとするところが分かってきた。
【この料理の】お召し上がり方は【以前にご説明しましたでしょうか?再度ご説明は不要ということで】よろしかったでしょうか?」
という文句の、【 】を省略しているのだ。
「あぁ、結構です」
と返答するまでに約3秒程度を要した。

「お召し上がり方はよろしかったでしょうか?」

こう聞いて、皆すぐに質問の意図が分かるのだろうか?私のような勘違いが特殊なのだろうか?

続・患者さんからの手紙について

このブログは、「骨髄移植の患者さんからの手紙」といった検索キーワードによって発見され、参照されることが結構あるようだ。

私は9月1日に、「患者さんからの手紙について」という記事を書いた。その時点では、私自身は患者さんからの手紙をもらっておらず、恐らく、今後ももらえないだろう、それで構わない、と考えていた。

そして、その記事は、手紙を貰えずにがっかりしているドナーや、移植後も体調がなかなか回復せず、手紙を書けずに申し訳なさを感じている患者さんに向けて書いたつもりだった。手紙のやりとりは、あればラッキー、無くて当然なのです、と。

しかし、その約一ヶ月後、私はラッキーなことに手紙を頂いてしまった(「患者さんからの手紙が届いた」)。

もちろん嬉しいが、しかし、手放しで喜ぶ、という気分にはなれない。
なぜなら、骨髄移植は、多くの場合、患者さんにとってのゴールではなく、その後も長く続くであろう戦いの中の、1エピソードに過ぎないことを、私は何人もの患者さんのブログを通じて知っているからだ。現に、私の患者さんの手紙にも「食欲不振等がある」と綴られていた。

「移植によって命がつながったんだから、食欲不振なんて小さな問題だよね」
などとは私は言えない。
そのような、他者が背負っている荷物を勝手に軽く見積もる態度は、醜いことである。

骨髄移植が必要となる病気、白血病や悪性リンパ腫などの血液疾患は、何万人~何十万人に1人の割合で発症する。原因はよく分かっていない。患者さんは、その僅かな確率に該当して苦しみを引き受けた。というより、否応なしに引き受けさせられた。

その苦しみに耐えた、耐えている、というだけで「すでに十分過ぎるほど務めを果たした、果たしている」と私は思っている。
私の患者さんは、手紙の中で「今後はこの命で人様の役に立ちたい」と語っていた。現在でも食欲不振という辛さに耐えていながら、それに加えて、他人の役に立つことが実現したら、もう眩しすぎて、私は患者さんをまっすぐに見ることができなくなってしまいますよ。
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